300

映画「300」を観てきた。
大作を公開日に見に行ったのなんていつ以来だろう。
今回は、私の英会話の先生がずーーっと前から「300をみんなで見に行こう!」と言っていて、それを実現すべく、英会話教室の先生やその奥さん・彼女など約10人連れという集団で見に行ったのだった。なんでも、彼(先生)の大好きなアメコミが原作で、原作者が映画にもかなり関わっているとかで、日本での公開を心待ちにしていたらしい。
私は、メンバーが多い方が楽しそうだし日本人が多くいた方が私も心強いので、以前花見のときに出会った企業クラスの人で、最近はラジオ英会話をともに励ましつつ続けているメル友のTさんも誘って、彼と共に参加した。


映画は、何十万というペルシア軍にスパルタ兵がたった300人で立ち向かったというテルモピュライの戦いを描いている。が、はっきりいって歴史スペクタクルを期待すると肩すかしを食らうだろう。そういう映画ではない。
誤解を恐れずに言うと、紀里谷監督のCASSHERNのような映画だと思った。大胆にCGを使って、過度にビジュアル・コンシャスなところが。どちらも作り手独特の美意識に支えられていて、その世界をいかに統一感をもって表現するか、というところに力を注いでいる感じがする。
CASSHERNに似ているなんて言うと世間ではひどく貶しているように思われるかもしれないが、私はこの点ではCASSHERNを評価しているので、もちろんほめているつもり)
その、統一感のある演出・表現という点で、この映画はかなりうまくやっている。男は無駄にマッチョだし、王妃はエロいし(笑)*1、その肉体をいかに美しくかっこよく見せるかということに気を使った画像処理をしているし、いちいちかっこいいきめのポーズをこれでもかと見せてくれるし、戦いの場面では首がスパッと、しかしグロい描写つきで切られるし。まるで動くビジュアル・ノベルみたいなのだ。
CG映画というと人工的な描写がやり玉に挙げられることが多いが、この映画の場合はむしろ「人工的な美*2」を鑑賞することこそが正しい見方*3なのではないか、などと考える。
ただし、話は薄い。でも、映像を見せることに主眼を置くのだとすれば、細かい話はむしろその邪魔になるのかもしれず、その辺は捉え方次第かな。あっさり終わってしまうので、もう少し手応えが欲しかったというのが正直なところではあるが。ただ、ラストはわりと好きだ。この映画なりの世界観が最後までつながりをもって展開されているところがいい。

*1:だって他の平民の女性は違うのに、彼女だけ胸と下に布がかかってるだけみたいな格好なのよ

*2:しかしマッチョな肉体は本物(^^;

*3:まぁ、もちろんそんなの決まってないけど