砂の器

映画版「砂の器」を観てきた。
近くの映画館が特別上映をしたので。同じ映画館で先月は映画版「白い巨塔」も上映していた。ここは(小さいながら)一応シネコンなんだけど、わりと柔軟に特別上映を企画してくれるのだ。ちなみに次の特別上映予定は「黒蜥蜴」。


こないだのTBSのドラマは見たけど原作は未読、映画は今回が初見。ドラマ版は映画とどう違っているか、というようなことは前知識としてもっている。そんな状態で見たんだが、ドラマが意外なくらいシーンの中で映画のイメージを多く踏襲していたことを今回知った。画面に出てくるテロップを含めて。(笑)
ドラマに突然テロップが出てきたときは「ドラマなら映像で説明しろよ!」と思わず心の中でつっこみを入れてしまったものだが、映画版はその比ではなかったのだ。あれだけ長い文章だと、テロップというよりただのト書きだな。今こんなテロップの使い方をしている映画があったら監督の構成力と編集能力を疑うところだが、当時の映画としてもやはりこれは微妙・・・。
映像に力があってそういう意味では楽しめたんだが、つっこみたくなるところも多くあり、構成や展開はかなり強引に感じた。ドラマ化されたときに映画との相違点がいろいろと取りざたされていたが、これを見てみると改変は正しかったんじゃないかと思う。映画でさえ強引だと感じるのに、あの設定のまま1クールもやったらボロがいっぱい出てきただろう。時間をかけられた分、設定についてはドラマの方が納得しやすいレベルまで描かれていた。ただし、ドラマの敗因は時間をかけすぎたことだとも思うが。
森田健作は口が回っていないし大根。あれなら永井大の方がまだずっとましなんじゃないの。しかし丹波哲郎渡辺謙は、全く違うタイプではあるがそれぞれ完成した今西刑事像を形作っていた。どちらもいい感じだ。
結局ドラマと比較した見方ばかりになってしまったなあ。こういう内容の場合、オチも展開もわかった状態で見てしまったのが不幸だったのだろう。