トゥモロー・ワールド

トゥモロー・ワールド」を見てきた。
先日の英会話のレッスンで、先生が、こないだ見てすごく感動したから見るべき!と大推薦していたので。
その彼の言う情報だけしか知らずに観に行ったら、出演はクライヴ・オーウェンジュリアン・ムーアマイケル・ケインなど(でもマイケル・ケインは、エンドクレジットを見るまであれが彼だとはわからなかった(^^;)、監督は、「天国の口、終りの楽園。」のアルフォンソ・キュアロンだった。


人類に生殖機能がなくなって18年以上たつ、2027年。世界中が混乱している中、イギリスだけは無事だった(と、政府が宣伝している)。しかしそれは実は、厳密な監視の中、不法入国者強制収容所送りにすることで、辛うじて部分的に保たれている平穏だった。そんな中、イギリス人である主人公は、昔の恋人ジュリアン*1(現在活動家のリーダー)から一人の女性の身分証明を頼まれる。彼女は不法入国者で、(もう人類にはあり得ないと思われていた)妊婦だった。しかし、ジュリアンは殺され、妊婦を助けると言っていた活動家グループも実は政治的に彼女を利用しようとしていることが判明する。政府も、テロリストのリーダーと目されていたジュリアンと一緒に行動していた彼らを追っていた。主人公は彼女を安全なところへ逃がすために行動する・・・という話。
おもしろいしコンセプト的にはわるくないんだが、まだどこか描写に甘さがあって、いまいちずっぽりとは浸りきれない。そんな、少し「薄さ」を感じる作品だった。監督はSFをつくってきた人ではないから仕方ないのかなあ。
しかし、それほど派手なCGもなく、舞台は現在のイギリスとほぼ変わらず、ハリウッドものに比べたらたぶんかなりローバジェットな映画なのに、これは確かにSFマインドをもったSF映画になっていた(厳しく見れば多少の甘さはあるにせよ)。SF映画を作るのに必要なのは、派手なCGや大予算ではなく、これはSFなのだという確固たる哲学なのだと実感する。そんなことを思ったのは、某掲示板に、なぜ日本はSF映画をつくれないのかというスレッドがあって、そこで延々続いているSF者たちの話が結構おもしろくて考えさせられたから。日本でも、物理的には作ろうとすれば作れるはずなんだけどねえ。


閑話休題


私は、収容所内での戦闘の中、泣きやまぬ赤ん坊を抱いた女性がいつの間にか人々に希望の眼差しで見つめられていくシーンが好きだ。彼らを逮捕しようと押し入ってきた警察も、赤ん坊の姿を見て、畏敬の念を表して道を譲る。国家の命令よりも優先される命。彼女(赤ん坊は女の子)の前では策略も命令も意味をもたない。このとき確かに赤ん坊は人類にとっての希望になったのだ、という事実の大きさがよく表現されている。この映画の原題は"Children of Men"「人類の子供たち」。
その後の話の処理に不満はあるのだけどね。それが薄さにも繋がっている。


映画には、ペットや家畜、野生動物など、これみよがしにたくさんの動物たちが登場する。ほとんどの動物が人間より短いサイクルで命をつないでいくことを考えると、これは、「生殖機能を失ったのは人間だけ」ということを強調し、なぜそうなったのか*2、ということを考えさせて文明社会を皮肉っているのだろう。人類が滅んだ後に残るのは動物の世界なのだということも連想させる。
不法入国者の強制連行のシーンには、様々な映画で描かれているナチスユダヤ人連行シーンが重なった。そして収容所はまるでゲットーのよう。この辺は意識して作っているように思えたのだがどうだろう。
それともう一つ、監督がメキシコ人のキュアロン監督であることを考えると、映画の中で描かれる違法入国者への厳しい対応は、現在のアメリカ政府のメキシコ人入国者への対応*3を批判しているようにも見えるし、上に書いたことと合わせるとさらに強い意味をもつ気がするのだが、そこまでは考えすぎだろうか。

*1:演じているのもジュリアン・ムーア(笑)

*2:映画では描かれていない

*3:少し前にTVドキュメンタリーを見たものだから