王立宇宙軍

昨日の続き。後から思いついたんだが、スタッフは架空の世界をつくるということにかなり腐心したんじゃないだろうか。
宗教、政治、科学の発展と戦争なんていう話を盛り込んでいる以上、そのまま現実の話にするとイデオロギーの括りから逃れられなくなってしまうし、それだとずいぶん泥臭い話になって主人公の行動の純粋さ(初めは不純だったかもしれないが)だけでは話を押し通せなくなってしまう。
ソ連アメリカのロケット開発戦争をモチーフとしながらも舞台を「王国」にしたのも、偏った見方をされることを避けるためなんだろう(王立という言葉の響きがかっこいいってこともあるかもしれないが(笑))。
宗教もキリスト教に似た別の何かになっているし、硬貨はスティック状だし、本や新聞の開き方も違う。そういう点を拾っていくと、できるだけ、「ここ」と特定されないような、一つ一つ既存のものとは違う何かを創造して違う世界を作ろうとしたスタッフの苦心の跡が見えてくる気がする。
でも20代の若者たちがそうやって何かを作っていく作業というのは楽しかっただろうなあ。今その様子を想像しようとすると岡田斗司夫の顔が思い浮かんできてアレなんだけど。