カトリーナ

マックスバリュで買い物をしたら、レジに急ごしらえで作ったらしいペットボトル製のカトリーナの救済募金箱が置いてあったので、お釣りの中から適当に小銭を取って入れておいた。
わずかのお金で、はっきりいって自己満足なんだけど、それでもそれが積み重なって何らかの助けに繋がればと勝手に願っている。カトリーナの災害は、ここのところで最も胸の痛むニュースだったから。
災害そのものも、それが引き起こした事態についても。
アメリカなのに、いやアメリカだからなのか。アメリカが内にもつ脆弱さが見えてしまった感じだ。国というシステムには、普段はわかったつもりでいても見ないふりをすることで成り立っている部分がある。それを支えているのがシステムに対する信頼とある種の幻想なのだと思う。国外的にも国内的にも、アメリカはその信頼と幻想に支えられてパワーを持ち続けているんじゃないだろうか。しかし今回のことは、アメリカという国は一様ではないのだということを改めて目に見える形で提示してしまった。
実は、そのことに対するショックが一番大きい。わかっていたつもりでいても、やはり、なのだ。


って、書こうと思ったことはいろいろあったんだが、まとまらないので行間を省いているうちにさらに意味不明な文章になってしまった・・・。嗚呼。